フィリップス・バーグ(セント・マーチン)の風景

元々島には先住民族が住んでいたが、1493年、コロンブス第2回航海時に発見され、彼によって「セント・マーチン」と命名される。ただ、発見されたものの、コロンブス一行はこの島に上陸はせず、領有宣言もしなかった。そこで、本格的にこの島を占領したのはオランダで、1631年のこと。

当時の17世紀オランダオランダの黄金時代
16世紀の神聖ローマ帝国時代、オランダでは宗教改革によって弾圧された新教徒が多く集まっていたが、これをきっかけにオランダはハプスブルク家の支配から独立を果たす。
そして「自由と合理的」な気風のオランダは1602年、「オランダ連合東インド会社」を設立。その収益はその会社への出資の割合で出資者へ還元するという、現在の株式システムの先駆けであり、成功を収めたオランダは世界の海に乗り出していく。
こうして世界の富はアムステルダムに集積されていくことになった。
は大航海時代をリードする黄金時代。北米のニューアムステルダム(現在のニューヨーク)とブラジルに拠点を持ち、その中間に位置するこの島に拠点を築こうとしたが、1640年にスペイン人が入植。その後15年間に渡ってオランダは島を奪還するためにフランスの援軍を得て攻撃を続けたため、スペイン軍は撤退。こうして1648年に島はオランダとフランスで分割して領有することになった。

76 マリゴ
フランス語でサン・マルタン島(Saint Martin)、オランダ語でシント・マールテン島(Sint Maarten)、英語名がセント・マーティン(St.Martin)である。 フランス領側はフレンチ・サイド (French Side)と呼ばれ、中心地がマリゴ(上記写真)。オランダ領側はダッチ・サイド (Dutch Side) と呼ばれ、中心地がフィリップスバーグ。

77 フィリップス・バーグの港
クルーズ船が何隻も停泊できるフィリップス・バーグの港。ここから町の中心へはWATER TAXIで10分。
78 フィリップス・バーグの町の中心
フィリップス・バーグのメインストリートとその街並み。
細々としたお土産が中心で、とても賑やか。
79 フィリップス・バーグのお土産屋 80 フィリップス・バーグのショッピングモール 81 フィリップス・バーグの建物
82 フィリップス・バーグのビーチ ダッチサイドのフィリップス・バーグの町が他の寄港地と違うのは、この町のお店がブランドや免税品という感じではなく、洋服や細々とした雑貨などが多く集まっているところ。ビーチでは波もほとんどなく浅いため、子供も遊ぶことが出来る。

また、この島の大きな特徴でもあるもう一つの領土、フレンチサイドへは簡単な標識のみで国境が分けられており、パスポートなどのチェックは行われないし、そういった施設も無い。マリゴへ行くには、フィリップス・バーグのツーリスト・
インフォメーション先にある広い駐車場にあるバス乗り場から。バス乗り場といってもワンボックス車(運転席に行き先の小さなプレートがある)で、適当な位置に車が止まるといったもので、看板すら無い。この車で40分ほど。個人旅行に相当慣れている人でないと、初めてでこのバスを使うのは難しい。

ちなみに、フレンチサイドよりも、国際空港や客船が寄港する港があるダッチサイドの方が賑やか。
クルーズ船の停泊時間に限りがあるため、フレンチサイドまで足を伸ばす人は少ない。
83 A.C. Wathey Pier
下船開始直後の港の様子。
船内申し込みの現地発着オプショナルツアーの現地スタッフの出迎えと参加者で非常に混雑している。

84 オランダ領とフランス領の境界線
左からオランダ、フランス、島の旗が見える場所が島の南北、そしてオランダ領とフランス領の境界線。ガイドブックや他のサイトでも見かけない貴重な写真。これはマリゴからの帰りの車中より。
85 マリゴのセント・ルイス砦 マリゴのセント・ルイス砦(1786年)
フランス領の島に残る数少ない要塞の一つで、このページのトップにある写真はここからの眺め。
要塞としての原型は留めていないが大砲がいくつか置かれ、眺めは良い。
86 Marigot Bayの座礁船


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